台風すごかったですよ。いや、マジで。
こんにちは。Tsukasaです。夏休み中に作ったものを発表しなくてはいけないので色々プレッシャーかかってます。自分がやらなくてはいけないなんて偉そうなプレッシャーではなく、『はたして大勢の前で普通にしゃべれるのか』という実になさけない重圧が私を襲うのです。
さて。
間をあけていたので色々話題はあるのですが、ちょっと前に仏教と銀シャリについてのコラムを書いたところ、
これがなかなか。どうやってMixiから来た人は私のメアドを知っているのだろうか。(別にイイケド)
大学の頃は遊び半分興味半分で受けていた講義ではあったんですが、
役にたたない知識の代表格の宗教論。まぁ、面白いっちゃ面白いんですけども。
昨年ちょっと話題になったダヴィンチ・コードもキリスト(カトリック)教色の濃い物語でありました。
宗教は物語にしやすいというのは結構昔から言われていたことで、ああいう個々(つまりは宗教ごと)にそれぞれがヒエラルキーを主張する事柄は実に面白い。第三者視点なら、ですが。
前にも描いたように無神論者ではありますが、仏教に属する私は、なんとかそのご利益(実際間違った表現ですけど)にあやかろうと色々知識を集めたものです。
流石に自分の所属している仏教の宗派はわかりますよね?
ああ、いや、別にわからなくてもいいか。最近ってそんな感じですよね。
ウチは良く書くように真言宗(○○派)。ここは伏せますね。
死んだら極楽浄土。仏教の基本ともなる教えなんですが、
現実的に言うと、死んだらどこへいくというのはたいして問題じゃない。
残された人間の葬式が大変。
やれ、おつやだ、やれ、ひきでものだ、やれセレモニーホールだ、と。
その中で、良く言われるのが、
『葬式と、四十九日(しじゅうくにち)を一緒にやってしまう』という風習。
四十九日後にまた親戚一同を集めるのは大変だという事からそうなってしまったものなんですが、
四十九日ってそもそもなんでしょうか。
式をあげてから四十九日後にまたお坊さんに念仏を唱えてもらう。・・・なぜ?
百か日ってのも同様。今やってるところがあるかしらないんですが。
それと、その一年以内には新盆(にいぼん。地域ごとに呼び名は違うようです。ちなみにウチの地域では『しんぼん』と呼びます)がある。なにそれ。
と、まあ人間が死んでからはイベント目白押しなわけですよ。
なぜか。
宗教ごとに考え方は違うので一概には言えないのですが、
簡単に言ってしまうと『応援』なんです。
こと真言宗では、人は死んでからすぐに極楽浄土(俗に言う天国)へいけるわけではありません。
そこから修行の始まりなんです。別名、億万浄土ともいわれ、かなり長い道のりをあるかなければなりません。
そこで、死んだ後の49日目(すなわち しじゅうくにち)、100日目(ひゃっかにち)、そして新盆。
それらで、極楽浄土へむかう死者を応援してあげよう、とそういう意味あいなわけです。
ただし、何宗かはここでは申し上げませんが、『指をパチンと鳴らす(仏教的な専門用語があります)』と瞬時に極楽浄土へいけてしまう、という宗教もあったりします。
多分、その分極楽浄土へついたときの身分等がかわってくるんでしょうねぇ。前者はしっかり修行してたどり着いているわけですから・・・。
死者の身分としては、面白いのは中国かもしれません。
中国では、『あの世』で使えるお金が存在します。
ただの、おもちゃの紙のお金なんですが、
それを死者埋葬の時に、火にくべるのです。
それで天にまいあがった塵は天国でその埋葬された者のお金になるという。
実際、お金を出してそのあの世のお金を買うわけでして、多くお金を火にくべられた人ほど、あの世での身分が高くなると言われています。
・・・っつか、長いお話になっちゃうねえ。
少しはムダ知識になったでしょうか。
・・・ナラナイカナァ。
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