3連休ですが、お彼岸ということでお墓参りが待っています。
こんにちは。Tsukasaです。
最近疲れてすぐ寝てしまうのは日中充実しているからなんでしょうか?
おかげで作業が何もできずに日が終わります。
さて。
昔からこのコラムは第二新卒狙いの方向けに勇気を少しでも分けようと、
20台も終わりそうなおじさんが20台になろうとしている若さに囲まれながら奮闘する様をつづったものがいくつかあります。
しかし、本来ならばこういう事で失敗した、とかこれはやらなきゃよかった、とかそういう体験談を交えながら他のおじさん学生どもの糧になるような情報を提供するべきなんですが、
あいにくそんな気の利いたお話はないのです。
ハジメは色々あったこの学生生活も、だんだんと周りとも打ち解けてきました。
今ではもうほぼ自然体で付き合えているんじゃないでしょうか。
10歳近くも違う人間と、それも社会人としてではなく学生として打ち解ける。
これは一種の奇跡ではないかと思えるのです。
良い人間に恵まれたというのはいわずもがななんですが、ただ単に気分を学生に戻しただけではこうはいかないはずです。
気分を学生に戻して、素行も学生時代へ退行させ、気持ちの持ちようも昔のようにする。
・・・そんなんじゃ周りの人間すらダメにする爆弾の出来上がりです。
まず、気分の問題。
これは、学生に戻る、というよりは私の場合『挑戦しにいく』という意味合いが強かったように感じます。
よく普段言っている事なんですが、私は専門学校というものを『戦場』だと考えていました。
同じ道へ挑戦するものが集い、その先の狭き門へ向かって我さきへと技術を磨くところ、と。
実際のところ、確かにキビシイ部分は多々ありますが、入学前に思っていたものよりは大分楽です。
入学前にやっていたお仕事が電気屋さんの販売員(『電気屋さんの販売員』という職種は、どうやら現存する職業の中でもかなりつらい部類に入るそうなのだ。統計では、10人の新入社員が半年後には5人残るかわからない現状であり、販売員を夫にもつ家庭の3カップルに1組が3年以内に離婚しているようだ。(20台))だったというのも要因の一つでしょうけども。
なので、勉強自体にはツライとはいいつつも嫌ではなかったし、すすんでやっていました。そもそも苦ではないですし。
次に、素行の話。
私の学生生活は怠惰そのもの。高校時代も、大学時代も、です。お仕事がお仕事だったので、休みたいと思う日はあれど休んじゃえ!・・・なんて心境には今のところなった事がないです。
もし、今の学校へ入ったときにお仕事で身についた事を忘れ学生時代に戻っていたとしたら、付き合う友人グループは今と違っていたでしょうね。楽しいことには間違いなさそうですけど。
最後。気持ち。
気分、と似てますが、ここでいう気持ちというのは心の持ちようです。これは、間違いなく、28歳のそれです。
作業時や、人間と話す時ややりとり、交渉。これらについては自分は28なんだ、としっかり心において行っています。
私は前から言うように間違って覚えるべき事は学ぶ前に教えない人間ですが、
答えが一つしかない事象については聞かれればしっかりと教えます。
偉そうとか、そういう以前に『私がこの年の時にこの人たちと知り合えたのにはなにか意味がある』、と私は考えます。
気持ちまで退行してしまったら、『この年にその人間達と一緒に学んでいく事に意味が見出せない』んですよ。
早い話が、大学だの仕事だのをやらないですぐ専門きちゃえばよかったじゃん、という後悔しか生まなくなるってことです。
当然、周りの人間と境遇は違います。現実を見れば、まわりはまだ20にもなってない人間ばかり。
身近なものでいえばお金。お給金や賞与を経験している人間と学生ではお金の価値観はまるで違いますから。
だから、私はお金については『押し付けない・拒まない』と心に決めて生活しています。
物理的にお金がない、というのはどうしようもない事なんですよね。当たり前の事です。
そこで、ムリヤリ引っ張る事はしないということです。
拒まないというのは、そこでもしもその人間がその物理的な壁を越えたいと願うのであれば、躊躇せずお金を貸すべきだという考えです。
借りる借りないというのは個人の判断。助け舟の提案はしますが、それに乗るかどうかはその人間にまかせる、といったところでしょうか。
お金の問題はどの世界でもあることですが、少し悲しいのは 『なぜ私が今のこの考えに至ったか』 というのを考えてもらえないときがあることでしょうか。
これは私の高すぎた望みなんですが、
例えばお金のことでなにか問題が発生したときに、友人同士で相談をします。
その中で、「Tsukasaさんはお金一杯持ってるから気持ちわからないよ」と認識されてしまう事があったりします。
私は上記の高すぎた望みを抱いているがゆえガックリします。
しかし同時に、「『今』を見ている若人にそこまで望む方がおかしい」という考えも浮かびます。
これは、ある意味家で、親が子にしかる、諭す、学校で、先生が生徒にしかる、諭す、というものの心境に近いんですが、
私は、いきなり28になったわけじゃないんです。
私は学校のみんなの前に現れたのは27ですが、
みんなと同じような経験をして、27になっているんです。
わからないんじゃない。実際に同じ心境や状況に過去になって、今に至るんです。
これは、学生に、もちろん今の学校の生徒に言っている文章ではありません。
同じ境遇の、おじさん学生に言っているんです。
年なんぞ、ほっときゃ増える。年取ったからって、偉くもなんともない。
でも、全てを学生に戻すような事はしてはいけない。
学生であることを逆手にとり、精神まで退行するような輩にはなるな!
お前より、お前のまわりの前途有望な若人達がかわいそうだ。
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