ごぶさたしております。Tsukasaです。
だいぶ間あいちゃいました。
色々と考えることも多くて忙しい日々でした。
さて。
色々終わりましたね。
卒業制作の方から行きましょうか。
発表も、無事に終わり今は一息ついています。
色々あったんですよ。ほんと色々。
まぁ、書いてもわからない人がほとんどだとおもうんで書いちゃいますけど、
やっぱり制作が遅れて終わらない人ってのもいるわけです。
担任の教師がいうには、他の人間にも非があるんだ、と。
確かに力になってあげられなかったのは事実なんですよねえ。
自分に余裕がないってのはありますし、
自分のことをほっといて他の人間に気をやるなんて、そんないいかげんな事しようとしてんじゃねえよ!
・・・・・・なんて怒られちゃいそうですけど、
それはそれ。
で。結局一日のびちゃうことになって。
次の日に再度発表にチャレンジしてくれた人に、まぁ、終わったあとですけど、
私怒っちゃったんですよねえ。
今思えば大人気ないと思わざるを得ない行為でした。
気づいた後、その日のその後、速攻でその当事者にあやまりに行きましたけど。
つまり、言ってしまえば
『怒るくらいに本当にその人間のことを思っているなら、前日にCP室にひっぱってくぐらいしろ』
ってことなんですよ。
私は、前日、その当事者の発表のリハーサルにでたからといって、その後は帰りの電車の時間のこともあり、
普通に帰ってしまったんですよ。上記のとおり、CP室に連れて行くことすらしないで。
もうどうしようもないバカですよ。
それでその次の日、ちゃんとやってない、と言って怒ってるんですから。
リハでたくらいでかまってやったなんて思ってるクソ(つまり私)は土下座しても足りないくらいですよ。
で。
まぁ、そういう私に自分の作品を語る資格なんぞまったくないわけなんですが、
ほんの少しだけ卒業制作作品についていっておきたいことがありました。
それは、なぜ『コレ』なのか?です。
今回の私の作品の最大のテーマは、『パロディ』です。
本筋をパロってしまうとただのMADになってしまうので、キャラやストーリーなどは
さすがに私のオリジナルなんですが、
その物語の随所に既存作品をパロディとして盛り込んであるわけです。
パロディ、ときくと、やっぱり『元があって、それを持ってきてる』というイメージの為、
安っぽい、と思われてしまうことがあります。
これは当然であり、それは企画の段階から自分自身十二分にわかっていたことです。
では、『なぜ?』
それは、私の生きてきた年代によるものが大きくかかわっています。
卒業制作発表の時は、こんなん言っても意味わかんないだろうし、いう必要もないのでカットしましたが、
私は、小さい頃から楽しい(ここでいう楽しいは、笑う、の意)映画=パロディ映画でした。
80年代の前半では、たとえば『ホットショット』など、名作のパロディをちりばめた『笑い』の為の映画が乱立したんですね。
それはそれは、小さい私にとってはとてもすばらしいものに映りました。
なぜなら、『理由なく笑う事ができた』からです。
あとで思い返して笑う、でもなく。先を予想して笑ってしまうのでもなく。
ただ、そこで笑うだけなんです。突発的に。1+1+が2であるように、笑うだけなんです。
裏も表も理由も意味もなく、笑顔になったんです。
だから、今回の作品には話の中に難しい事は何一つ入れていません。
伏線なんてものも皆無です。ただそこで笑う、というものを考えて作ったわけです。
虎の威を借る、邪道なもの。パロディとはそう思われがちです。
しかし、真は違う。
わかる人間だけが笑うという、見る人間を選ぶという、娯楽の映画としてはありえない、なんと傲慢な作り。そこに、美学があると信じたわけですね。
なぜなら、今回の作品は映画ではないんです。
嫌でもみるしかないという空間が作られた発表会なんですから!
ニヤニヤとした瞬間、そこには他のニヤニヤしていない人間よりもより高みにいる自分を認識するんです。
人間心理と笑いは密接に関係しています。ここで大学でやったうんぬん、を持ち出すのも嫌なんで書きませんが、
『笑い』というものを深く追求していけばおのずと、映画でそれを求めた場合パロディというものの意味の大きさを知ることになるんでしょう。
惜しむらくは、それを作中で語るにはあまりにも・・・・・・
時間がなさすぎた、かと。
後半へつづく!
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