さて・・・
こんにちは。Tsukasaです。みなさんいかがおすごしでしょうか。
わたしは、24.25とヤボ用があったため、今課題やなにやらで少し焦り気味です。
徹夜ですかねぇー・・・
はい、突然ですが、私は礼節などの常識をあまり知りません。
昔のブログで書いたとおり。
ただ、私の母がお茶とお花の先生であることから、小さい頃から礼儀作法などのしつけには
とても厳しかったのは簡単に想像できる。
では、なぜ今それができないのか。もういい年なんだから世間にでても恥ずかしくないように振舞うのが普通。
なおさら、なぜ?
結論から言ってしまうと、自分でもわからないorz
そういうのは、無意識に出来るのが本当にしつけが出来ている人間なのだが、
無意識に、それよりも『合理的』な行動にでてしまうのだ。
例えば、ハシとハシで食べ物をやり取りするのは言語道断の悪行儀。
しかし、それを知った上で、より口に持っていくのが速い方法をとってしまう。
すなわち、皿を介さずにハシで受け取ってしまう、のだ。
多分、(無意識だから自分でもよくわからないが)もうハシが手の感覚なんだろう、と推測する。
友人にジュースを渡すとしよう。
あげる、といったあと、わざわざ一度地面に置くか、否か。
当然、手渡しが早いし合理的である。
私の素行でタチが悪いところは、常識という範疇の行儀を知っていながら、自分のもっとも楽な(多分これが合理的って考えるモノ)行動を無意識に選択してしまう事だとおもう。
つまり行儀よく、というと私の場合は意識してないとダメ。
昔は自分が友人に言う立場であった事から、人生のどこかのタイミングで行儀に対する意識が変わってしまったんだろう。
それとは逆に、『知らなかった事』もある。
行儀、ではないが友人の反応を見る限り広く伝わる『常識』なんだろう。
昔、友人をほめようとして『 目が小さい 』といってしまい、その言われた友人はひどく狼狽し、大変な事態になってしまった覚えがある。
私の中ではどうしても でかい よりは ちいさい のが『カワイイ』の対象によく使われる為だとおもう。
目を小さいという事が人を罵倒する、卑下する表現であることを知識として知らなかったからである。
ちいさくてカワイイ と おおきくてカワイイ では、やはり上記の通り私の中ではちいさい方のが良く使うが、
これはあくまで私の中のことである事に気づくべきであったのだ。
あのときの周りや本人のものすごい剣幕から察するに、おそらく世間一般では、『小さい』、よりも『おおきい』をカワイイとするのは目だけ、というような特殊な事ではない。それほどの剣幕であったのだ。
大きいことがカワイイ のは決して 目だけ ではないということ。
これがわかっていなかったのだ。
私の中の『ちいさい』の方が『おおきい』よりも多くカワイイの対象になる、というものの考え自体が常識と間違っている、という事を示唆する剣幕での警告。
あのときは自分の無知を呪ったものだ。
なぜ デカイ=カワイイ を結び付けられなかったのかと。自分の浅学さもさることながら、思考回路が自分の中で一番確立の高いものを単純に選択してしまうという愚かなものであったからだ。
普通の感覚ではデカイ=カワイイは当たり前の感覚なのだ。それすら知らなかった。
今では、『小さくてカワイイ』よりも『大きくてカワイイ』というものの方が世間には多い、という常識を受け止め言葉選びも多少は慎重になってきたか、と思う。
やはり、年齢ではない、経験なのだ、と。
そう今でも真剣におもうのだ。
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