ごぶさたしてます。
こんにちは。Tsukasaです。3日ぶりとなります。
連続で新しい企業へ訪問することになって、帰ったら履歴書、帰ったら履歴書、と続いていたので
ヒマがなかった、というのが正確な言い訳かとおもいます。
・・・こんなんで作品できあがるんかな?
さて、私は友人のブログを溜めてみるのがクセなんですが、ひさしぶりに読ませていただいたところ昔の記事に意見してくれているのを発見。
いきなりテンションがあがって読み耽りました。ありがたいことです。
やはり、自分だけの考察は自分の世界での常識に過ぎないんですよ。他人の考え、常識に触れて初めて完成に近づく。そう信じています。
自分の考えは色々な考えの中の一つに過ぎない、と認識するのが正しいと私はおもいます。
例えば、「常識的に考えて~」という言葉があります。
通常は相手の考えが常識から外れている場合に諭す言葉のまくらに使いますよね。
これは、上記の考え方で行くならその前に「私の」と付け加えるべきだと考えます。
でないと、自分の思っている常識を相手に押し付けている、もしくは相手が自分と違う考えだから常識と違う、ととらえる事も可能。
なぜなら、どんなに相手が特殊な常識を持っていたとしても、その相手にとって『それ』はその瞬間は紛れもない常識なんですよ。
それがたとえ10000対1でも1000000対1の考えだとしても。
世間一般の考え=常識 なんてふざけたロジックは少なくとも、私の常識の中ではいらない。
それを信条にしている人間の前でとりつくろう為に使う程度だろうと思います。
「私の常識は~だけど、へえ、あなたの常識ではそうなんだ?」みたいな会話がしっくりくる。
つまり、相手の話を聞いて自分の考えを塗り替えるのではなく、
取り入れて、進化させるわけです。
ただまぁ、ここまで書いといてなんですが異端児は将来苦労しますがね。
・・・かなり大きな話をしたとおもいきや、コレ実は弟とフロ掃除について『常識的』にどっちが洗うのが正しいかを討論した話だったりする。
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