ちょっと身体が大変なことになってます。
こんにちは。Tsukasaです。ハァハァいってます。
無事に母親も氷川きよしを見ることが出来たようで上機嫌です。
さて。今日はそんな親の一言から。
洋服の話。
裸で出歩く種族の方以外、かならず洋服というものは人間着用するものです。
そこに、氷川きよしショーの所為で新宿まで出掛けた親が言ったのです。
「今はなにを着ても『あれもアリかな』と思われそうね」
つまり、どんな服を着ても変な目で見られることは少ないのでは、と。
流石に限度はありますが、それは正しい。
個性を尊重する良き風習が生み出した自由な社会とでもいいましょうか。
ただ、激動の昭和を生きてきた母親は言うのです。
「今は許されるであろう着こなし(多分、親は服そのものの良し悪しではなく来ている人間のセンスに物言いしているのだと思われる)も、私たちの時代の人間からすれば恥ずかしい部類に入るものがあるね」
と。
特にウチの母親はお茶とお花の先生というこれでもかという程日本人なわけで。
最近日記のネタに良く使うので流石に悪い気もしてきましたが、そういう人です。
スカートの下にジャージやスパッツをはくのを見ると吹き出してしまうという。
今では色々なところで見られるそれも、母に言わせるとどう考えてもおかしいのだそうだ。
そりゃ確かにお茶やお花ではそんなカッコしないでしょうけども。
当然、母親もいつも和服を着ているわけではなくふつぅーに普段着は洋服です。
そう考えると、一体母親がなにを言いたいのかがわからなくなってきます。
時代の流れ、というものは流石に理解しているでしょうから。
そこでつっこんで話を聞いてみると、
母の超個人的な意見として、そういうカッコが生理的に受け付けない、というだけであり別に恥ずかしいから着るな、というわけではないもよう。
ただし、と母はいう。
個人的に言わせて貰うならば、と前につけたが
例えば私(母)のように日本に伝わる習い事を志す人間や、根本的に日本という文化が好きという人間が、そいう昔から見れば明らかにおかしいカッコをするのはどうかとおもう。
日本の文化が好きならおしとやかや清楚といった本来の日本の女性(母、つまり女性の視点での意見でしょう)像を目指すべきではないのか。
日本文化が好きだけどそういう格好をしている、という人は遊び程度・上っ面程度にしか日本というものを好きではない。
・・・私は普段着くらいは好きなもの着させろよ、と思うのだが、ことああいう世界で生きている人間の立場からすればあながち間違った事は言ってないのでは、とも思う。
美的感覚の麻痺。
これは、今を生きる若い人間ほぼすべてに言えることなのではなかろうか。
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