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すべてを受け入れての大人、じゃないでしょうかね。
こんにちは。Tsukasaです。せっかく、してやったり!と思っていたのに、ズレテマス。
もう、ズレズレ。だめだこりゃ。
さてさて。いかがお過ごしでしょうか。とりあえず、私は元気なんですけど、なんだか吐き気がとまらんのですよ。
先日いったスノボで、一発頭うったんで、もしや・・・と。
まあ、ひどかったら病院いきましょ。
人の話を聞く。これは、私が人生にかけて努めている事柄です。
もともと営業をしていた分、クレーム処理などの経験から人の話を聞くほうに回ることが
かなり多いのです。当然、日常会話でもです。
すきなんですけどね。
むしろ、自分がずらずら話しているとそのうちあー、自分だけいい気分、みたいな自己嫌悪に陥るので、
聞きに徹する、なんてこともすくなくないです。
学校へ入ってからも、前ブログでちらちら書いていたように、たまに相談を受けたり、はたまた忠告や注意、警告なんかも受けます。
私はそれらすべてを、無条件で受け入れます。
たとえ、それが的を外れていたとしても、です。
そもそも、自分(この場合私)のことを、真剣に考え、本気で物言いをしてくれる言葉をさえきることなど私には出来ません。
言われる以上、それが例え誤解であったとしてもなんらかの成長を私はみるのです。
そんな言葉に感謝こそすれ、なにを文句が言えるのか。
例えば、私が意図していた事を誤解されて物言いを発せられたとしましょう。
言われているほう(この場合私)は、確かに誤解されていると途中で気づくはずです。
しかし、私はそこで適度な反論をまぜ、相手の言うこと(の方向性)は間違っていない、と逆主張するのです。
当然、反論ですから、それに対して反論がきますよね。
それらは、すべて最後まで聞き、受け止めます。
至極、当たり前。たとえ、実は誤解で忠告や警告を言っていたとしても、それらはみんな自分を思っての言葉に違いは無いんですよ。
そして、言えるだけ、言ってもらう。自分が的外れなことで相手を誹謗中傷の暴言を吐いていた、と気づかせないように、終わらせるのです。
相手はスッキリ、そしてわたしも何か一つはその中で見つけ出すことが出来るのです。
誤解に文句を言われてストレスを感じないか?って話もありますが、
そんなんあるわけないじゃないですかw
成長するチャンスなんですよ?