何ヶ月ぶりでしょうか。
多分、一年近くぶりなんですが、
大きな風邪を引いておりました。
スキー場から持ち帰ってしまったようです。
大変でした、色々。
今は着実に回復に向かっており、もう作業も始めております。
昨年の頭ぐらいからやってきた、『動画の流行』。
火付け役は、YOUTUBEであった、と記憶しております。
それに対し、これは絶対儲かると踏んで乗り出したのが、ニワンゴの社長。
結果、ニコニコ動画として日本の動画サイトの中ではトップシェアへ躍り出ました。
YOUTUBEも日本語版サイトができ、とても観やすくはなったんですが、ニコニコ動画(以下ニコ動)にあるようなコメントを動画中に流すなどの機能はなく、そこは元祖の弱みとなってしまっております。
今は、ツールまわりも充実しており、当然非公式ではありますが、不可能だと思われていた『コメントごとの保存』も実現されました。
こういうのを観ていて思うのは、やっぱり世に出てきていない才能の多さではないでしょうか。
趣味、や 遊び程度、と自分の中では位置づけされているものが、それらでお金を稼いでいる人間をしのぐほどのレベルであった、なんてことはもうああいう動画サイトでは日常茶飯事。
これは恐ろしくも、すばらしいことだと感じます。評価される事が容易になったわけですから。
趣味や遊びで作った作品には責任という重圧が無いので、それこそ自分の作りたいまま、なんの枷もないものが作れます。
観ていて思ったのは、そういう作品を一週間に1作品とか、周期的に必ず出してくる人間の存在です。
大概、ニコ動などでアップされるものはたとえシリーズ化されたとて、そこには長いスパンが生じます。
ほとんどの場合、仕事をしながら片手間で作品を作っているからだと私は思います。
しかし。
稀に、いらっしゃるんですよ。上記のとおり、周期的に、とても短いスパンでしっかりと作品をアップしていく人間が。
そして、それらは必ず一定以上のクオリティを守っている。
本人からのコメント欄には、自分はプロですが、と添えられていました。
違いは、ここか。
時間をかけtれば誰でも出来る、とはよく言われる言葉ですが、
逆に、時間をかけないでどんなものができるかやってみる、というのはどうでしょうか。
動画の場合、特にああいう場ではほとんどの場合が笑いと技術力がキモ。
見る人間のナナメ上を行かないとダメな世界です。
短い時間で作るという枷でそれに対抗しうるには、
センス と言う名の残酷な現実が存在するわけです。
特に、みじかい時間で作れば作るほど、そこに違いがでてきてしまう。
最近、私は自分の作った動画を見て動画のセンスの無さに愕然としましたが。
ただ、センスは、磨くことができます。
もって生まれた、つまり先天的なものに差があろうとも、
磨くことである程度までは伸びることができます。
つまり、
生まれたとき、 A君 5 B君 1 の能力だったとしましょう。
私は、努力で磨くことが出来る量には限界があると思っています。
どんな人間にも限界はあります。
この位の数字として、Tsukasa尺度でいえば、後天的な付与で伸びる数値の限界値はずばり 10.
全開まで二人ががんばると、
A君 15 B君 11 となります。
28歳の社会観から言うに、この位の数単位での能力であればプロとなりえるのは10↑。
更に、追いかける者は、前にいる者(追いかけられる側の人間)にはない、追随ボーナス(Tsukasa語)が
得られるんです。
わかりやすくいうと、追うほうが色々な面で有利な事があるということ。
『自分にセンスが無い。』そう自覚したのなら、自覚したなりに、がんばってみましょうよ。
はじめは、自分と5倍もの差があったA君とも、努力しだいでその差はわずか1.3倍にまでつめよれるんですよ。
私は、広く浅くを信条に生きているため、自分に先天的なものが無いと落ち込む事が昔から多々あります。
深く、が無いのでこれは当たり前なんです。
でも、深くやってる人に少しでも近づきたいと思うのは私が欲張りな人間だからです。
そんな時は、今回の様に考えて、前に進みます。
先天的な能力にだって、たくさん努力すれば近づけると信じて。
先天的な能力を持っている人は、それを楽しいと思うから自分すら知らずにたくさんそれに触っているんです。
その結果、他の人より秀でる。
たくさん触れる事こそ、センス、と言えなくも無いんですが、それならば自分にも出来る気がしませんか?
だって、上達したい、と思うことは、
きっと、
自分が好きなことだからでしょう?