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NoMARK corp.もついにサイバースペースへ!
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Tsukasaです。こんにちは。



友人に、観たい観たいとせがんだら(私は子供です)

観れました。




とりあえず兼ねてから言われている電王から。

私は、このところ仮面ライダーはぶっ飛ばしまくってるので、今の風潮がわからないんですよ。


そんな私だからこそ、他の人と違う意見が言えるのでは、と筆をとったわけです。


仮面ライダーは、長く続くシリーズのため、長くても数クルーで終わるようなアニメやなんかと比べると、

ちょいと崇高なものになります。

そのため、なんもわかってない私があれこれ言うのは失礼に値するかもしれません。

崇拝している人は日本全国にいるしね。


で。  電王の最終回なんですけど、

いや、よかったよ。ほんとほんと。アクションかっこいいし。

ノリもいいし。何より、あんまり観ていないTsukasaでも、

これを観ただけで人間関係、善悪、理由、絆、みたいなファクターが一発で理解できるのがいい。


ああいうのって、毎回最終回は強引な部分が入るのがセオリーになっちゃってる感がありますが、

全然許容範囲であったかと、素人目には映りました。

伏線なんかを理解してない(観てない)から言える言葉なのかもしれませんね。


私は歳的に仮面ライダーはBLACK 、BLACK RX 直撃世代なんですけど、

それに比べるとなんだか画面がきれいだなぁ、と。

ストーリーや、配役なんかは時代があるので比較のしようがないので。

もう、当時小学生であった私は夢中になってみてました。

いや、ほんとかっこよかった。宇宙刑事なんかと一緒で、すごくハマッてた。



次の仮面ライダーは キバ ですね。

どうやらバイオリン職人らしいんですが。

みみをすませば を思い出すのはジブリ好きだからでしょうか。

作業部屋の配置もそれっぽかったし。

仮面ライダーは、歴代キックを必殺技に使ってきました。

ライダーキックってやつですね。どの作品にも必ずさわりは出てくるはずなんです。


キバのキックよかったよ。うん。


なんか、すごかった。ずごごごごって、エヴァンゲリオンが二つに分かれる使途を倒した時のキックみたいだった。あの二人でユニゾンしたやつね。

で、壁にコウモリ形の亀裂が!!

言葉でいくら言っても、まだまだ第一話なんで(しかも、私自身全部見ることが出来なかった)

とりあえず、キックは観とくと面白いかも。

これから一年、がんばってほしい。


にわかファンのTsukasaでした。


・・・あ、絵日記にするの忘れちゃった。
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こんにちは。Tsukasaです。


あいかわらず、卒業制作にいそしむ毎日ですが、そろそろ終わらせないとヤバイです。



この土日は、卒業制作に当てないといけないはずなんですが、家族の用事がてんこ盛りでして、

更に自分も髪の毛を切らなければなりません。


それで、地元のスーパーに行ったんです。

どうでもいいんですけど、

いらっしゃいませ、の掛け声なんです。


男性の従業員と、女性の従業員では決定的な違いがあります。

男性の掛け声は、

「っせ~」

と、何を言っているのかよくわからなくなりがちです。

いや、まじで。

一方女性は、いらっしゃいませ、としっかりと言っています。


これは、こういうお仕事をしている男性のほとんどに見られる傾向で、

私自身、電気屋さんで働いていたときは

いらっしゃいませの、いらっしゃい の部分を っ に込めて 

「っせ~」

と言っていました。

その前段階として、

「しゃーせー」

があります。これだけ聞くと卑猥ですが、れっきとした短縮語であります。

よくきくと、これも「っしゃーせー」 となり、やはり「 っ 」 に前の部分が込められているわけなんですね。


ですから、私は働いていた頃、意識して

「いらっしゃいませ~」

とゆっくり発音するようにしていました。定期的に。


ただ、しゃーせー、も、 っせー も、 お客としては特に気にはならないんですよね。

いらっしゃいませという言葉が当たり前になりすぎて、

環境音と化しているからではないか、と私は踏んでいます。

つまり、 い ら っ しゃ い ま せ の中に含まれている言葉であれば、

最後の「 せ 」 さえ発音すれば(せ で終われば)どんな長さで言っても

違和感はないのではないか、と思うのです。


せ を発音するのは、人間の記憶(いわゆる、「いつもの」)と合わせる為であり、最後をそろえることによって、

どう言おうが いらっしゃいませ になるだろうという私独自の理論からであります。


「っしゃいませー↑(威勢良く上にあがる感じで)」 これは、言わずもがな問題ないかと思われます。

しゃーせー、と同じ部分ですからね。


怪しいのが、

「いませ~」 です。 これも、語尾を上げることによって多少ごまかすことが出来ると思うのですが、

はやり一番効果的なのは、初めに っ を入れることです。

正確には、「っいませ~↑」となります。 

ただし、イントネーションに気をつけないと、「すいません」と言っている様にも聞こえてしまうかもしれません。


「っませ~」も同様。多少考えるが、お客は遠くでそんな声がしてたところで首をかしげることはないだろう。


「っせー」は、上記の通り。


「らっしゃいませ」に関しては、もう略している意味があまりないので割愛した。



並べてみると、なんだか「しゃーせー」が、「シャイセ」と聞こえてヨーロッパの人間にはなんだか怒られているような気がしてしまうのではないか、と考えてしまったりするが、気にするほどではないだろう。


あ、そうこうしているウチにファイルのコピーが終わった。

どうでもいい話は終わりにして卒業制作してきま~す。
こんにちは。Tsukasaです。



本日は、学校も午前中で終わりウハウハの午後、となるわけなんですけど、

今の時期、大変なのは新しい住処探し。

もうそんな時期になったんですねえ。


私は、幸運にも内定をいただいた会社に社宅があるためそこへ住めることになったんですが、

大概の場合はそうではありません。

今日も友人の一人が『はやくしないとっ!』と出発していきます。(厳密私は早く帰宅してしまったのでわからないんですが)



私は学生の頃、東京都は江戸川区の小岩というところに住んでいた時期があります。

学生アパートなのでお値段も安く、友人もみんな気さくな人間ばかりで楽しかった思い出があります。


当時は、駿台の予備校で大学受験の為の勉強をするはずでした。


ぶっちゃけた話、私はなさけない人間なんで過去はあんまり自分から話さないんですが

もう毎日パチンコ、マージャン三昧でした。

そのアパートの住人のほぼ8割がギャンブラーでした。

アパートを間違えたんでしょうかね。

すんごい楽しかったですけど。



全国模試、というものがあります。

それはその年に大学受験をする人間のほぼ8.9割(当時)は受けているという、

つまり私も受けて正確なデータを出しなさい的な面倒なものでした。


結果は、早稲田大学B判定(ABCD4段階制)という結果でした。

B判定というのは、数字的に出してしまうと60%ぐらいの合格率だということでした。


「なんだよ!俺って結構頭いいじゃん!」

今はそのカケラも見受けられませんが。


私のプライバシーのために言いません(知ってる奴も言うんじゃない)が、結局入ったのは3流どころか5流大学。

だって、勉強しなくても受かりそうだったんだもん。

その頃からクソみたいな人間ですよね。


私が、コンピュータグラフィックスに出会ったのは、大学に入ってからです。

今はお仕事してますが、当時の友人から手ほどきを受けました。


そこの大学の教授がなかなかの人物でして、その人の研究室に入ったのも今思えば入るべくして入ったのかも、と思わざるを得ません。

人数制限あったのに入れたわけですし。


当時はよく言われるように就職氷河期で、まともな就職活動など出来るはずもなく、私は派遣社員の道へ進みました。

これは昔のブログにも出てきた話なんですけど、初めて人のために書いた絵が喜ばれた事が、今イラストレータを目指している一番の理由なのかもしれないんですよ。

そして、それを描いたのは、そのどうでもいいと思った大学の在学中なんですよ。

意味ってのを考えちゃいますよね。

哲学的な話でつかみづらいと思うんですけど、

ある哲学者は、生まれたときからもうエンディングのパターンは決まっているのだといいます。

そして、自分は途中の分岐点を選択していくわけです。これすなわち人生。

そしてその人生によって、数あるエンディングの中から自分のエンディングが選ばれるわけです。


意味、ですよ。

多分、ある。

あの学校へ行った事も、今の学校を選んだことも、朝の駅までの道で右を選んだことも。

『これを選択したから、こうなった』んです。


たとえば、でいえば

あの学校へ行ったから、一年多く大学へいくことになった。そして、HPの素材を頼まれることになった。
時期は就職氷河期だったために派遣社員の道を選び、3年間勤めることになったから、今の先生の年に入学することになって、今の友人と知り合うこととなった。

確かに、こう考えてみるとまるであらかた結果が決まってるような筋道になってますよね。


ま、でも、決まってても決まって無くても同じなんですけどね。

まだ、『これから』は知らないんですから。


たまにはこういう話もイイッスよね。
卒業制作そっちのけで、DTMに関する情報をひた集めるTsukasaです。こんにちは。



ある教本が届きまして。

アマゾンからです。


コレで多少は詳しく慣れるのかな、と登下校の電車の中で読みふけろうと考えております。


タイトルがおかしなことになってるんですけど、誤植ではないです。

『初音ミクロマン』

このネーミングセンスには敬意を表したい。


どうやら、知らぬ間に初音ミクコンテストなるものがあったらしく、

立体物の部門での優秀作の名前なんだそうだ。

クリエイターの友とよばれるミクロマンをベースに、

初音ミクのディティールを可能な限り移植。

結果、ミクロマンの最大の売りである可動はしなくなってしまった(この時点ですでにミクロマンではない)が、

より原作に忠実なフォームに仕上がったのだそうだ。


写真を載せたいのだが、いいのかわからないので自分で探すように。


世の中、いろんな奴がいて楽しいよ。
何ヶ月ぶりでしょうか。

多分、一年近くぶりなんですが、

大きな風邪を引いておりました。



スキー場から持ち帰ってしまったようです。

大変でした、色々。


今は着実に回復に向かっており、もう作業も始めております。




昨年の頭ぐらいからやってきた、『動画の流行』。

火付け役は、YOUTUBEであった、と記憶しております。

それに対し、これは絶対儲かると踏んで乗り出したのが、ニワンゴの社長。

結果、ニコニコ動画として日本の動画サイトの中ではトップシェアへ躍り出ました。


YOUTUBEも日本語版サイトができ、とても観やすくはなったんですが、ニコニコ動画(以下ニコ動)にあるようなコメントを動画中に流すなどの機能はなく、そこは元祖の弱みとなってしまっております。

今は、ツールまわりも充実しており、当然非公式ではありますが、不可能だと思われていた『コメントごとの保存』も実現されました。

こういうのを観ていて思うのは、やっぱり世に出てきていない才能の多さではないでしょうか。

趣味、や 遊び程度、と自分の中では位置づけされているものが、それらでお金を稼いでいる人間をしのぐほどのレベルであった、なんてことはもうああいう動画サイトでは日常茶飯事。

これは恐ろしくも、すばらしいことだと感じます。評価される事が容易になったわけですから。

趣味や遊びで作った作品には責任という重圧が無いので、それこそ自分の作りたいまま、なんの枷もないものが作れます。

観ていて思ったのは、そういう作品を一週間に1作品とか、周期的に必ず出してくる人間の存在です。

大概、ニコ動などでアップされるものはたとえシリーズ化されたとて、そこには長いスパンが生じます。

ほとんどの場合、仕事をしながら片手間で作品を作っているからだと私は思います。

しかし。

稀に、いらっしゃるんですよ。上記のとおり、周期的に、とても短いスパンでしっかりと作品をアップしていく人間が。

そして、それらは必ず一定以上のクオリティを守っている。

本人からのコメント欄には、自分はプロですが、と添えられていました。


違いは、ここか。


時間をかけtれば誰でも出来る、とはよく言われる言葉ですが、

逆に、時間をかけないでどんなものができるかやってみる、というのはどうでしょうか。


動画の場合、特にああいう場ではほとんどの場合が笑いと技術力がキモ。

見る人間のナナメ上を行かないとダメな世界です。

短い時間で作るという枷でそれに対抗しうるには、

センス と言う名の残酷な現実が存在するわけです。


特に、みじかい時間で作れば作るほど、そこに違いがでてきてしまう。

最近、私は自分の作った動画を見て動画のセンスの無さに愕然としましたが。


ただ、センスは、磨くことができます。

もって生まれた、つまり先天的なものに差があろうとも、

磨くことである程度までは伸びることができます。

つまり、

生まれたとき、  A君 5   B君 1    の能力だったとしましょう。

私は、努力で磨くことが出来る量には限界があると思っています。

どんな人間にも限界はあります。

この位の数字として、Tsukasa尺度でいえば、後天的な付与で伸びる数値の限界値はずばり 10.

全開まで二人ががんばると、

A君 15 B君 11 となります。

28歳の社会観から言うに、この位の数単位での能力であればプロとなりえるのは10↑。


更に、追いかける者は、前にいる者(追いかけられる側の人間)にはない、追随ボーナス(Tsukasa語)が

得られるんです。

わかりやすくいうと、追うほうが色々な面で有利な事があるということ。


『自分にセンスが無い。』そう自覚したのなら、自覚したなりに、がんばってみましょうよ。

はじめは、自分と5倍もの差があったA君とも、努力しだいでその差はわずか1.3倍にまでつめよれるんですよ。


私は、広く浅くを信条に生きているため、自分に先天的なものが無いと落ち込む事が昔から多々あります。

深く、が無いのでこれは当たり前なんです。

でも、深くやってる人に少しでも近づきたいと思うのは私が欲張りな人間だからです。

そんな時は、今回の様に考えて、前に進みます。

先天的な能力にだって、たくさん努力すれば近づけると信じて。

先天的な能力を持っている人は、それを楽しいと思うから自分すら知らずにたくさんそれに触っているんです。

その結果、他の人より秀でる。

たくさん触れる事こそ、センス、と言えなくも無いんですが、それならば自分にも出来る気がしませんか?

だって、上達したい、と思うことは、

きっと、

自分が好きなことだからでしょう?
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