さすがにもう正月気分も多少抜けてきまして、各種作業も再開しようかなと思ってます。
私は昨年から、いや非公開であればそれ以前から、
「ゆとり」と世間で言われる世代を擁護してきました。
擁護というのは少し言葉が悪いです。当たり前のことをずらずらと書いてきただけです。
TVでその世代が叩かれるたびにこのブログで反撃しようと試みてます。
前からたくさん言ってるように、そもそもゆとりなんてーのは本人がなりたくてなったわけじゃないんですよ。
当然でしょう。
生まれてくる時代を選べないのと一緒ですよ。
学校の友人に、「ああ、ウチらゆとり世代なんで○○ですよ」
とちゃかす人がおります。
その人は、そのセリフからわかるとおり人間としての器が少し同世代より大きい人間です。
普段からそういう節は多々見られてたわけなんですけども。
○○、には自虐的なセリフ。つまるところ、できない、しらない、わからない 等が入るわけです。
それを聞くとなんとも、いかんともしがたい気分になります。もう形容しがたい。
確かに、ゆとり教育の制度は前記のとおり8年前に施行されたわけで、8年前に
小学校、もしくは中学校一年くらいでしょうか。それくらいから始まってしまった方はちょっと言葉にオブラートを包めない程確実に、私たちの頃より浅学です。
しかし。
たとえばの話、勉強ができない人間なんて私達の世代にだってたくさんいましたし、本を読まない人間だってたくさんいたんです。
昨年、世界の学生で実施された学力テストではもう目もあてられない程のひどい結果に終わっていました。
テレビなどではクッションを入れて控えめにヒドイっぽい感じでにごしてましたが、
確かに、私はそのテストで日本が世界一位であった世代です。正直さびしい気もします。
でもね、そんなのカンケーないじゃん。
生徒がなんかしたんですかね?なんも気に病むことなんて無いと思います。頭悪くなるのも国の政策ですよ。
思うんですけど、
一番つらいのは本人たちだとおもうんです。
だって、私達の時代だってできのイイ人間ばかりじゃなかったはずなのに、
今の世代ではデキの悪い人間がちらっと見えただけで「ゆとり」と一まとめにされてしまうんですよ。
私のクラスは2年生のクラスなんですけど、先日一年と合同でのスキー旅行のための説明会があったんです。
すごいですよ。
もう、やんちゃでかわいいです。
こう思えるのはもしかすると同年代ではないからかもしれないんですが、とってもほほえましくなりました。
おもわず、会合がおわったあと、「一年生は・・・すごいねぇ」と友人にもらしてしまったのを覚えています。
あー、ゆとり世代ってみんなあーなのか、と思われたりしてしまうととても社会的に不利になるような方達なわけです。
かわいいとは思うんですけど、同世代でそう思われたくない人間にはつらい、と、そういうわけなんですよ。
外の人間からすればみんな一緒に見るわけですから。
ちょっと昔でいうガテン系であり、教養がまったく感じられないところがかわいい。
皮肉ではなく、純粋にそう思えたのは不思議な事なのかもしれません。
小学校高学年、もしくは中学一年くらいに見えたんです。
自信いっぱいなところはとっても私もいいと思います。
わたしは、そんな人も、そしてそれらとは一緒に見られたくない人も、同じように接しよう、そう心に決めているんです。
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