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どこまでマイペースを貫けるか・・・
こんにちは。Tsukasaです。
昨日のポートフォリオの騒動がまだ終わらないうちに、なんとまたポートフォリオ提出の企業が。
もう許して。
・・・まぁ、とはいったもののデザイン系へ進もうとしている以上、ポートフォリオの作成やデッサンなどの試験は避けて通れぬ道ではあるんですよね。
本来であればみっちりと修行した上で望むわけですから自身タップリというのが普通なんでしょう。
私の場合は不安しかございません。
真面目にやってきたとは思うんですが、特化したものがないんですよ。
これは負けない!・・・みたいなものが。
だから、毎回はっきりした手ごたえというものがない。その結果、
「ああ、たぶん落ちた」等のグチがでるわけなんです。
きっと、どこか一つでも内定でるとその態度は一転して強気になるのでしょうけども、
今現在はまだまだ兆しすら見えません。
しかも、今日受けたところが内定までいくには4月ほどまでかかるとの事。
こんな状態が少なくともあと2ヶ月以上は続くのかとおもうともうげんなり。
どこか私を拾ってくれるところはないでっしゃろか。
3時っすよ・・・
こんにちは。Tsukasaです。企業からのメールに、「デザイン志望の方は作品をもってきて☆」
みたいな一言があったので、その後の「後日メールにてお知らせします」の、メールをまっていたんですが、
前日となった今日までなんもこないので、電話したところ、
担当者不在・・・コラーーーーー!!
で、かけなおしてって言われたんで2時間後に電話したら
「ハイ、えーっと、そうですね、じゃあ、CDRに焼いたものと、ポートフォリオにしたものを両方用意してください」
・・・なんだってー
ってか、なんか今決めたように聞こえたのは私だけ?
とりあえずグチっても仕方がないので早速今あるもので急ごしらえ。
お急ぎでセンセにポートフォリオの作り方おせーてー!!っとHelp
丁寧にHow To PortFolio を教えてくれましたですのよ。
家に帰るとご飯>フロ ここまではいつもと同じなんだけど、
ここから怒涛のフォリオラッシュ(命名Tsukasa)
ぶっちゃけたはなし前日じゃ個性のあるポートフォリオなんてツクレネエヨ!
とりあえずカタチにするべくフォトショやらイラレやら総動員。
昔のファイル引っ張り出して使えるもんさがして・・・
解像度ひっくいのにごまかして・・・
ハァハァ・・
・・・もういいや。(えっ
いいもん。本命の会社じゃないから!!ばーかばーか!しんじゃえ。
・・・ってなわけで一応CG5枚のデッサン3点がフォリオった。
会社が言うには、5点までだそうだが、センセが言うに多いに越した事はナイ。ってなわけで
これくらいで許してやる事に。
私を。
みなさん、準備はお早めに。今回は仕方ねえけど・・・さ・・・
ハァ・・・
まだまだ。こんなもんじゃないはずだ!
こんにちは。Tsukasaです。
たまたま、今日は自分の集中力がどれだけ持続するか、を計測していたんですが、
根本的な疑問にぶちあたりました。
集中力が切れる、ってどういうこと?・・・です。
例えば、『飽きてくる』というのが切れる事だとすると、休み休みやっていてもその事を続けていれば、集中力は持続している事になります。
でも、それだとなんか違う気がするんですよ。
だから、こう考えてみました。
『今やっている事以外のことが頭に浮かんでくるようになったら』集中力が切れてきた。
これならどうでしょうか。
そもそも集中力を持続するのは大変だ、という基本の考え方があるので『大変』でないといけないんですよ。
で、上記の考えを実行してみると・・・・・これはツライ!
がんばっても、大体30分前後でチラチラっと別の事が頭に浮かんでしまう。
しかし。
それを繰り返しているうちに、なにも考えていない時間があることに気づきます。
それは、気づくと小一時間だったり、それ以上だったり。
・・・これが無我の境地!?
ということで、今度から私の中で集中とは、
『集中しようとがんばっている時間』+『無我の境地』
と定義づけされました。
まぁ、だからなんだ?って話なんですがね。とりあえずやる気さえあれば集中なぞいくらでも出来るって事がわかりました。
体には悪そうですが・・・
Tsukasa節、みせましょう。
こんにちは。Tsukasaです。昨日、帰ってからブログ書いて、お風呂の中で少し寝て、出てまた寝ました。
疲れは取れました。そして新たな活力も・・・!
さて、哲学、というと生きる意味を考えるとっても難しいイメージがあります。しかし、考え方によってはとっても単純なものだったりするんです。
昨日のブログでは、原因を考えるのは今となっては無意味、というフレーズがありましたが、
それを考えるのが哲学だといえるのではないでしょうか。・・・この時点で理解しがたいかも。
哲学は、何も意味を突き詰める事だけを指すわけではないんです。
意味を見つけ出す方法を考え出すのも哲学の一種だと私は思うんです。
世の中に偶然というものは存在しない。よく言われる言葉ですが、そもそもそれはなぜなのか?なぜそう言えるのか?
それはすべてに意味があるからなんです。
ここから、少し深くなります。付いてきて!
Aという人間がいました。彼は1という選択をしました。それは、彼の性格からすれば当然の事でした。彼のその性格は、過去にBという人間と付き合ってきたからでした。Bという人間は、CさんからAさんを紹介されました。それはCさんは、Aさんといつも一緒にいたので、Bさんに紹介するのは当然の事でした。Bさんの性格上、Aさんがそれに影響を受けるのは当然の事でした。そして、CさんがAさんといつも一緒にいるのは、Dさんという人間に影響をうけたので当然のことでした。CさんがDさんに影響を受けたのは、過去にEさんに影響をうけたから当然のことでした。Eさんがそういう性格になったのは、過去にFさんに出会っていたからです。EさんがFさんから影響を受けるのは、過去にGさんに影響を受けていたので当然の事でした。・・・・・・
これが、Aさんが『1』を選択するまでのロジックの例です。Aさんが1を選んだのは偶然でも気まぐれでもなく、当然のことであった。つまり、必然であった。
そうなると、今の自分があるのは過去の選択肢の所為。そして、その選択肢を選んだのは、そのまた過去の選択肢の為。そのときに、自分で選んでいるわけではないんです。選ぶべくして選んでいるんです。
もっと身近な例をあげてみましょうか。
例えば、今就職活動をしていますが、会社の選考に洩れてしまった、落ちてしまった、なぜか?その原因はその会社の求める能力が自分に無かったから。なぜ無かったのか?それは今年一年勉強をサボったから。なぜサボったのか?(なぜサボる道を選択したのか?)それは、高校までの友人等の付き合いが原因だった。なぜそういう人間と付き合ってしまったのか?(付き合う選択をしたのか?)それは中学校の生活に原因があった・・・
さあ、大変なことになりました。
選択を迫られたとき、自分自身迷っているのに迷った末に出す答えはもう過去の積み重ねからあらかじめきまってしまっていることになります。決まってても知らないから人生楽しいんですが。
自分の後ろを、見てみる。キーボードを触っている、マウスを触っている手を離して、
振り向こうとしてみるんです。
怖くて振り向けない。すぐ後ろに、もう一人立っている気がします。
過去の選択肢、そのまた過去の選択肢の螺旋、そこから導き出される答えは・・・
私はゲームに近いものだと・・・そう感じます。
キャラクターを演じきるために生きているんだと。
だから、過去にありましたよね。『かまいたちの夜』
あのシナリオの中に、ゲームをやっている人間、そのゲームをやっている人間、のゲームをやっている人間、というものがありました。それに近い。
ちょっと怖くなってきたんで、そろそろ締めましょう。
つまり、何がいいたいか。楽しい感じで締めます。
昨日の、出来事。あれがこの時期に起こった事にも意味があると言いたいんです。
つまり・・・
あの出来事によって、Tsukasaがまっとうな考え方になってしまったおかげで、
それが原因で将来、私がこの世に生きる誰かの強敵になってしまうかもしれませんよ・・・と。
フフフ・・・
Tsukasaです。本日は、Tsukasaの感動を伝えるため、抽象的に、断片的な表現の羅列になっています。
『意味がわからない』という内容にしてあります。将来、この日起きた事を笑って話す事ができれば、そう思います。
どうか、本日だけはご了承くださいますようお願いいたします。
根掘り葉掘り。これは聞くときに使う言葉ですよね。
相手がインタラクティブに返してくれる対話式討論でも詳しく聞くときはその言葉を使います。
発端はなにげないふざけた、冗談じみた一言から。
どんどんと深く、潜っていきます。外堀をはずして、殻を破いて、どんどんと真理に近づいていきます。
自分の今まで育ててきてしまった真理。それは人として間違った真理。
なぜそうなってしまったのか?そんなものを考えるほど無意味なものはありません。
重要なのは、なぜそんなに深くまで潜る事ができたのか。
それが何年も前から待ち望んでいた答えなのかもしれません。
潜って来てもらえるのを待っていたのかもしれません。
特別な日です。
答えは 友達 でした。
今までとは色々な意味で違ってくるのではないでしょうか。
今、私はうれしくて仕方が無いんです。
友達が、できました。いえ、出来ていたんですよ。
照れくさいんですがね。その照れよりも強い思いが生まれているんですよ。
私も、それに答えなければ と。