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NoMARK corp.もついにサイバースペースへ!
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ふぃや~



こんにちは。Tsukasaです。


パスポートもつくらなければならないのにまったくなにもやってないTsukasaです。



さて。いつものコラムですがこんかいはタイトルにあるとおり頑固な親父さんについて。


TVでむかしやってました。

頑固親父の経営する飲食店。

例えばそれはお寿司やさんであったり、日本料理店であったり。はたまたラーメン屋であったり。


私は、頑固親父がどうとかではなく、

自分がものを食べている最中に食べ方について(行儀とかではなく)アレコレ他人の指摘を受けるのを快くおもいません。

いいんですよ。行儀が悪いなら、全然言ってくれていいんです。むしろ改善の余地があるならうれしいところ。

しかし。

その頑固親父がいうのはそうではないんですよ。

スープ全部飲むまで水飲むな、とかすし屋には決まった食べ方がある!・・・とか。

完全に常識から逸脱した『自分ルール』をお客に押し付けているわけです。

そもそも、こっちはお金を払ってきているお客。

そのお客に対して、常識からなんら困った事をしていないにもかかわらず自分ルールに納まらないヤツは徹底的に攻撃。

そんな商売なりたっていいものだろうか。

ところがどっこい、日本は成り立つんですよね。

マスコミュニケーションというやつです。

あの影響力は強い。

でも、ですね。

私はやっぱりダメです。ああいうのは。

TVなどに推されて、その気になって調子乗ってる頑固親父は。

ほとんどマスコットきどりです。

お金払ってんだからメシくらい好きなように食わせろよ・・・

みんな、そう思いません?

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さて・・・



こんにちは。Tsukasaです。みなさんいかがおすごしでしょうか。

わたしは、24.25とヤボ用があったため、今課題やなにやらで少し焦り気味です。


徹夜ですかねぇー・・・



はい、突然ですが、私は礼節などの常識をあまり知りません。

昔のブログで書いたとおり。


ただ、私の母がお茶とお花の先生であることから、小さい頃から礼儀作法などのしつけには

とても厳しかったのは簡単に想像できる。


では、なぜ今それができないのか。もういい年なんだから世間にでても恥ずかしくないように振舞うのが普通。

なおさら、なぜ?


結論から言ってしまうと、自分でもわからないorz

そういうのは、無意識に出来るのが本当にしつけが出来ている人間なのだが、

無意識に、それよりも『合理的』な行動にでてしまうのだ。

例えば、ハシとハシで食べ物をやり取りするのは言語道断の悪行儀。

しかし、それを知った上で、より口に持っていくのが速い方法をとってしまう。

すなわち、皿を介さずにハシで受け取ってしまう、のだ。

多分、(無意識だから自分でもよくわからないが)もうハシが手の感覚なんだろう、と推測する。

友人にジュースを渡すとしよう。

あげる、といったあと、わざわざ一度地面に置くか、否か。

当然、手渡しが早いし合理的である。

私の素行でタチが悪いところは、常識という範疇の行儀を知っていながら、自分のもっとも楽な(多分これが合理的って考えるモノ)行動を無意識に選択してしまう事だとおもう。

つまり行儀よく、というと私の場合は意識してないとダメ。

昔は自分が友人に言う立場であった事から、人生のどこかのタイミングで行儀に対する意識が変わってしまったんだろう。


それとは逆に、『知らなかった事』もある。

行儀、ではないが友人の反応を見る限り広く伝わる『常識』なんだろう。

昔、友人をほめようとして『 目が小さい 』といってしまい、その言われた友人はひどく狼狽し、大変な事態になってしまった覚えがある。

私の中ではどうしても でかい よりは ちいさい のが『カワイイ』の対象によく使われる為だとおもう。

目を小さいという事が人を罵倒する、卑下する表現であることを知識として知らなかったからである。


ちいさくてカワイイ と おおきくてカワイイ では、やはり上記の通り私の中ではちいさい方のが良く使うが、

これはあくまで私の中のことである事に気づくべきであったのだ。

あのときの周りや本人のものすごい剣幕から察するに、おそらく世間一般では、『小さい』、よりも『おおきい』をカワイイとするのは目だけ、というような特殊な事ではない。それほどの剣幕であったのだ。


大きいことがカワイイ のは決して 目だけ ではないということ。

これがわかっていなかったのだ。

私の中の『ちいさい』の方が『おおきい』よりも多くカワイイの対象になる、というものの考え自体が常識と間違っている、という事を示唆する剣幕での警告。

あのときは自分の無知を呪ったものだ。

なぜ デカイ=カワイイ を結び付けられなかったのかと。自分の浅学さもさることながら、思考回路が自分の中で一番確立の高いものを単純に選択してしまうという愚かなものであったからだ。
普通の感覚ではデカイ=カワイイは当たり前の感覚なのだ。それすら知らなかった。

今では、『小さくてカワイイ』よりも『大きくてカワイイ』というものの方が世間には多い、という常識を受け止め言葉選びも多少は慎重になってきたか、と思う。

やはり、年齢ではない、経験なのだ、と。

そう今でも真剣におもうのだ。

なんか先日のバージルが倒せない、結構好評みたいで。2番つくるか(´д`)


こんにちは。Tsukasaです。

もう夏休み一週間ですよ!色々せっぱつまってきましたね!


さて。みなさんは、映画でも、ドラマでも、ゲームでも、小説でも、マンガでも、音楽でも、他人の作ったものに涙したことはありますか。


これでも一応はクリエイターを目指す人間、感受性は高いハズなんですが、

私は本気で見たい、読みたい、聞きたいと思ったものに触るときはお酒の力を借りる事があります。

お酒を飲むことで、私は自分のもつ感受性の感度がぐぐぐ、っとレベルアップします。

本気、というのは読んで字のごとく本気。本気とかいてマジとよむ!・・・という感じで、もう自分の墓に一緒に持っていこうってレベルのものを指します。

今回、おすすめするマンガはコレ。

日本橋ヨヲコさんの、『G戦場ヘブンズドア』

そもそも、この日本橋ヲヨコさんという作家さんの作品はどうも私の泣きポイントにクリティカルヒットするらしく、許されるなら全ての作品をオススメしたいくらいです。

ちなみに、私はこのマンガで 2回 泣いてます。

あの熱血漫画家島本和彦に「逃げ出したくなる」と言わしめた作品。

内容としては、マンガを通じて理解しあう二人の行く末は。というものなんですが、心情の描写がとにかく化け物じみてる。

悲しくてなくんじゃない。

うれしくて。やっと、たどり着いた事がうれしくて。

全3巻。あの、例の怪物の集まりだといわれているIKKIコミックスですよ。

冒頭のお酒の話は私の感受性増幅方法なんで特に今回泣いたってのとは関係ないです。

飲んでなくても泣くもんは泣く。

3巻くらいならすぐ読めるかなとおもって勧めてみました。


『面白い』ってマンガ、たくさんありますけど、

そのなかで、真に迫る面白さ(形容しがたい。こんな表現でごめんなさい)を表現できてるマンガっていくつもないです。

絵が綺麗だとか、そいういうのだけのマンガがどうしようもなくくだらない存在に見えてしまう。
(絵が綺麗なマンガがダメというわけではなく、内容をえづらでカバーしているような作品の事。これも一つのありかたか、と思えなくもないが・・・)

絵は、「綺麗だね」程度にしか見ないです。度にもよりますが・・・。だって、綺麗な絵をしていて内容がお金の先が見えてないってマンガが昨今多すぎるから。

綺麗事っぽいんですが、私はいけるところまで綺麗事で生きていこうと思っている人間なので。


作家はなんにしても見る人のことを考えなければならないというのは周知の事実。

しかし、そこに自分だけの表現を入れようと試みるところに作家性がうまれるんでしょう。

言われた事だけをやるような人間に作家性はない。

そして、自分だけの表現を入れるということは、少なくともそこで必ず自己満足があるんですよ。

マスターベーションは布団の中だけにしとけやっていいながらも、それを入れなきゃ作家性は生まれないわけ。

それが仕事として作品を作っていく人の永遠の命題であり、葛藤であり、ずっと自分に問いていかなければならないものだと思ってます。

なにが言いたいか。

書き始めた頃の気持ちって、大切ですよねって事です。



色々とね。

                  バージルが倒せない
                                   
                                    作詞:Tsukasa

気がついたら ミッションはもう 20

そしていつも同じ 技で 死ぬ

あきらめずに 緊急回避挑戦するけど

すぐに被弾 コンティニュー

攻撃のスキをつけば 楽に

ダメージを与えられる けど

何回やっても 何回やっても

バージルがたおせないよ

あのスティンガー何回やってもよけれない

回避やダッシュの無敵つかっても

いずれはつかまってダメージ

デビルトリガー試してみたけど

相手も同時に魔人化

だから次は絶対勝つために

僕はゴールドオーブは最後までとっておく


(伴奏はニコ動とかそんなんから流したりシテネ)



ウチでバーベキューをやりました。

楽しかった!何が楽しかったって、まず

『人間としゃべれた』(重症)

面と向かって会話なんてこの期間(/up~バーベキュー期間)までろくになかった。

それに、ありがたいことに関西からねえさんや、部活の後輩まで来てくれるという盛況ぶり!

こりゃぁ盛り上がらないハズはナイ。

兼ねてから懸念していたウチの親の介入もほとんどなく、

問題なく終了できました。

もう楽しかったよホントに。それしか形容できない。

上記の通りバージルは倒せなかったけど、(後に無事撃破しました)

こういう集まりはもっとどんどんやっていくべきだと感じました。

もう自分たちは二年。後輩の記憶に残しておけるものは少ないのだ。


特に私をずっと覚えていて欲しいなんて気持ちは確かにそんなにない。

でも、

やっぱり、会ったときに「誰だっけ?」は避けたいもの。


さぁ、いよいよ後半戦です。夏休み、ではないですよ。学生生活です。

やりたいことが出来る時間、ウマく使いたいものです。

ホントに。
すいません、安定して書けるといっておきながら間あきました。


こんにちは。Tsukasaです。

夏休みも折り返しですね。勝負はここからなんじゃないでしょうか。

最近はなんだかほとんど寝た記憶がありません。多分、ウトウトして毎日少しづつ寝てるとおもうんですけども。

なんでかというと、わたしの欲張りな性格に原因があります。

やりたいことを全部やりたい。

これですよ。

当然ながら、CGコンテストの作品はやらなきゃいけないことなんですが、一日にすすめなければならない最低ラインはすでに決めてあります。

それを終えると、毎日大体朝3時前後になってます。がんばった日は2時ぐらいに終わっているときもあります。

そこで、寝たらもったいないなぁと。そう思うんですよ。

例のオンラインゲーム効果です。

3時すぎぐらいからゲームをやります。ちょっと前は、アクションゲームの内容もあったので、ゲームをはじめたのは朝の5時とかありました。

で、大体なんですけど朝7時くらいまでゲームやります。

きりのよいところまでやると、「じゃあそろそろゆっくりとまた作業すっかなぁ」となります。

結構フラフラしてるので、進みはイマイチですが、昼過ぎぐらいには大体覚醒してくるので、ペースが戻ります。そこらへんで多分ウトウトしてるんだと思います。

その、繰り返し。チトつらい。が、やりたいものはなるべく全部やりたいからねぇ。


で、なんか昨日地震ありましたよね。バリバリ作業してたんですが、ウチのクワイ=ガン・ジンのフィギュアが
落下。

ベットに落ちたので、寝てたら直撃食らってました。ライトセーバー吹っ飛んでたし。

やっぱり努力してると神様助けてくれますネェ。


いや、努力ってんじゃないのかも。やりたいことやってるだけって感じですし。

確かに、オンラインゲーム自体はそこまでの時間できてません。

しかし、その前の段階のCGコンテストの絵も、そこまで苦痛というわけでもないんですよ。

課題というよりは書きたいものを描こう、とそういう心情なので。

やっぱり、タブレット持つと絵が描きたくなるんですよ。

この学校にきて、一番変わった事は、

『作品を作っているとき、次の作品がつくりたくなる』ようになったことです。

現在作っているものから、他の可能性が見えてしまうようになったんです。それは必ずしも現在のものより良い物とは限りません。

でも、やってみたい、と思うんですよ。

これはかなり大きい。

今までは、『次なに書こうかなぁ』と筆を止めていましたが、今現在は書きたいものには事欠かない状態です。

そもそもそこまで絵自体が達者というわけではないので色々なものに手を出したくなるのは遅かれ早かれおとずれる事だったのかもしれません。

上手くなりたいですよ。正直。

『上手く』、ってどういう事なのかなとも考えた事がありました。つい最近です。寝不足で陳腐な哲学を頭で繰り広げることがあったのです。

正直な話、例えば「あの人絵うまいなぁー」という声を聞くと詳細を聞きたくなるんです。

どこらへんがウマイのかなぁと。自分自身、スゲーとか良く言います。うまいっ!って言葉も言います。

自分が人の絵をウマイと思うときは、何を見て言ってるのか。

そもそも絵というもの自体、誰よりウマイだとかヘタだとか評価するモノではないはずなので難しいところなんですが、それでもムリヤリ評価というものを考えるというのならば、

まず、一つ思うのが『描けないものというのは存在しない』ということを念頭におくべきです。

例えばの話、すごく売れている大人気の絵師が存在したとします。なぜか。

それは、その人の描く『線の位置が、たまたま多くの人に受け入れられる場所にあった』だけなんです。事実。

そう考えると、ウマさってなんでしょうか。描けちゃいますよ?誰にでも。


問題は、

その『人気の出る線の場所を自分が選ぶ確立の高さ』なんですよ。すごい味気ない表現で申し訳ないんですが。

あきらめちゃダメです。手が届かないほど『上手い』という人間などほとんど居ません。

すごいなぁ、と思う自分にも、その線の場所を選らぶ可能性は少なからずあるはずなんです。


くやしがるべきだと私は思います。

くそ、アイツは他の人からウマイと思われる線の位置を書く感性を持っている、と。

そして、俺だって、と。感性なんて持って生まれたものがすべてじゃないですから。後付可、ですよ。

『ウマイ』と思われる線を選べる人間だって、『ウマイ』と思われる色を選べる人間だって、

自分の進化の可能性の一つだと思えませんか?

自分よりも早く絵というものに携わってきただけなんです。自分よりも早く多くの絵を見てきただけなんです。自分よりも早く沢山の線を描いてきただけなんです。

今現在の学校の友人に、フラッシュ職人さん(笑)がいらっしゃいます。そして、その作品をみたもう一人の友人がむかーし、言ったんですよ。

「追いついてやるからな」

・・・内心震えました。

これだ、と。

他人を認める。そして、その高みへ自分を持っていく事を誓ってるんです。大げさっぽいですが、事実そうです。

今でも私は自分が『ウマイ』と思う絵を見るとそれを思い出します。

そして考えるんです。

ああ、まだ足りないんだな、と。(つまり、足りてれば描けてるという境地)

何がって?・・・色々ですよ。
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